自分の部屋が欲しかったので縁側を部屋にした話

小学校三年生くらいの時だろうか。

漫画やテレビの影響かもしれない。猛烈に自分の部屋が欲しくなったのだ。

当時住んでいた実家は二階建ての一軒家。田舎なので、ごく一般的な家だったと思う。

僕には兄が二人いる。その時、僕は真ん中の兄と二階の一室を二人で使っていた。

そこに急に芽生えた自室欲。すぐさま僕は両親に部屋が欲しいと訴えた。

しかし、余っている部屋などない。

突然の三男の申し出に、両親は子供の成長を感じたであろう。しかし同時にうわ、めんどくせえ事言い出したぞ、とも思っただろう。

まだ早い、余ってる部屋はない、そう諭される。そうしてお決まりのように僕は泣き叫んで終わるのがおねだりのパターンだった。

しかし、なぜかこの時ばかりは終わらなかったのだ。

「縁側を自分の部屋にする!」

泣き叫びながら強引に決めてしまった。

しょうがねえか。泣いてるし。と諦めて、縁側を部屋にすることを両親は認めてくれた。多分、本気だと思っていなかったんだと思う。

縁側といえば、夏の夕方、スイカにかじりつくようなほのぼのしたイメージが浮かぶだろう。

しかし実家の縁側は少し違った。

純和風ではなく、大きなガラス窓で囲まれている。しかも床は木ではなく、なぜか絨毯が敷かれていた。今思うと中途半端な和洋折衷だ。

縁側なんて廊下ほどの幅しかない。そこをいかにして部屋にするのか。

まず、机と椅子を運び込んだ。

幅はギリギリ。よくいえばぴったりだった。悪くいえば無理がある。

しかし母親は困っただろう。机を設置した奥は収納になっていたからだ。しかし、それでも優しさゆえか特に何も言わなかった。

続いて本棚を設置。

これは自分の部屋として当然外せない。当時はジャンプやお小遣いなどで買った漫画が宝物だったからだ。

これでかなり部屋らしくなったと言えよう。

しかし、これで終わりではない。装飾が必要だ。

多くの男の子が通過したかもしれない。当時、かっこいいと思って大事にしていた紫の細いチェーンを天井から吊るした。

おそらくホームセンターに行った時に父親にねだったのだろう。使う用途は特になかったはずだが遊びに行く時はいつも持参していた。ちなみに当時は、僕だけでなく友達もみんなチェーンを持っていた。細いチェーンはステータスだ。

装飾もできたところで部屋は完成した。

やっと手に入れた自分の部屋だ。自分だけの空間。誰に何を言われるでもない自由の象徴。

子供ながらにDIYをしたつもりだったので、余計に感慨深かったのだろう。この時、本当に嬉しかった気持ちを今でもよく覚えている。

 

しかし、事件は夜に起こる。

 

寝る時は、もちろん自分の部屋(縁側)だ。幅が余るので布団の端を内側に丸め込んで無理やり敷いた。

左右に引く薄いガラス戸を挟んだ隣の和室では両親が寝ていた。

旅館に泊まると奥に縁側のような狭い空間があるだろう。小さい冷蔵庫とテーブルがあって、その上に灰皿が置いてあるような。

なぜかあそこにワクワクしながら布団を敷いて寝ているやつがいるのを想像してほしい。完全に頭がおかしいと思うだろう。きっと両親はそんな気持ちだったはずだ。

皆が寝静まった深夜。

寝返りをうった僕の体が薄いガラス戸を押した。

静かにレールから外れるガラス戸。

ガシャーン!と大きな音がして皆が一斉に目覚める。

何が起こったかわからず父がすぐに電気をつける。

そこには母親の布団の上に倒れたガラス戸が横たわっていた。母はびっくりして布団から顔を出したままピクリとも動かず目だけがまん丸だった。

幸いだったのは布団がクッションとなりガラスが割れなかったことだ。これは本当に運が良かったのだと思う。

僕は危うく母に大怪我を負わせるところだったのだ。

怒られた後、この日は両親と一緒に寝た。

もちろん、次の日、僕の部屋は解体。机や本棚は元の兄と一緒の部屋に戻された。

豊臣秀吉の天下より短かった僕の部屋の歴史は、あっけなく幕を閉じたのだ。

外すのがめんどくさかったのだろう。天井に吊ったチェーンだけは、そこに部屋があった証拠を残すかのように残されていた。

家を出たあと、帰省するたびにこのチェーンを見て恥ずかしいような、なんだか切ない気持ちになっていた。

 

これを読んでいる皆さんのお子さんも、いつか自分の部屋が欲しいと言い出すかもしれない。

その時、縁側を部屋にすることになったら、寝返りをうっても大丈夫かということだけは念入りに確認した方がいい。

いや、本当にガラスが割れなくて良かった。

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