嘘の責任

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先日、4月1日はみなさんご存知の通り、エイプリルフールだった。

よし、頑張って嘘つくぞ!なんて気概もないのだけれど、毎年炎上をみかける。

嘘をユーモアと取れない人につつかれているか、または表現の仕方がまずかったらしい。

しかし、明らかに嘘だと分かるとそれは受けが悪いし、かといってリアルすぎると嘘だと伝わらない可能性がある。そのさじ加減は難しいのである。

結構、自分が思っているより、言葉に出す、文章にする、という事は大層な事かもしれない。

どうやら僕は空気のように害のない嘘をつく癖があるのか、自分でも全く覚えていない事を後々指摘されたりする。

あれは高校一年生の時だ。

通っていた高校は岡山県でも各地域から集まってくるような学校だった。中には通学に2時間もかけて来ている友達もいた。

数ヶ月が経ち、それぞれある程度のグループが形成される。僕も含め電車通学の人間が多かったから余計固まるのだ。

僕は家は自転車をちょっとこげば瀬戸内海に出るようなところだった。入った部活を半年でやめてからはやたら自由な時間ができた。

金曜の夜なんかは、一人ラジオを持って夜釣りに出かけたものだ。これはあからさまに家では吸えないタバコを吸うためでもあった。

夜の海は静かでいつもあんまり釣れないんだけれど、それでも充分豊かな時間を過ごせたものだ。

ある日、A君に聞かれた。

「しょっちゅう、夜釣りにいくんじゃってな〜」

「うん。家が漁師じゃけえ、釣れた魚の半分を食べて残りの半分を売って暮らしとるけえ」

「へえ〜」

もちろん冗談であった。いや、冗談のつもりだったのだ。

しかし、時は流れ高校三年になった。みんな進路の話をしだす時期だ。

またA君に聞かれた。

「やっぱり漁師継ぐん?」

「ふえっ?なにそれ?」

そうなのだ。A君は僕が何気なく放った冗談をずっと真実だと思っていたのだ。

僕はそれを言った事すら覚えていなかった。

いや、親父、普通のサラリーマンなんだけど・・・と説明するとA君はずっと漁師なんだと思っていたとふくれていた。

実害などはないのだが、A君を二年間も騙していたことに自分でビックリした。

 

似たような話がもう一つある。これは僕が嘘をついた訳ではなく、母親が僕に言った事である。

まだ小学校にも入っていない歳だったと思う。

動物園で孔雀を見ていた。僕は、孔雀の綺麗な羽に見とれていた。

孔雀が後ろを向いた後またこっちを向いた。つまり一周しただけだ。

しかし幼かった僕にはなぜかこう見えたのだ。

孔雀は両面に首があって顔がある。

何を見間違ったのかそう認識してしまった。幼かったのでまあ、そういう事もあるだろう。

両面ともに顔がある事を母親に訴えた。

「お母さん、孔雀って後ろにも顔があるんじゃなあ」

「そうじゃね。後ろにも顔があるんじゃな〜」

これを僕は小学校の高学年まで信じていたのだ。

子供は目に入ったものなどすべてを口に出す時期があるのだと思う。この時の僕がそうだったのだろう。そこへ母親は話を合わせただけだ。

子供への対応、返事として決して間違いではないだろう。思い返すと僕も息子がそんな時期の時は、かなり適当に返事していたように思う。

しかしこれがなぜか記憶の片隅に今でもしっかり残っているのだ。

不思議なものである。多分、もっと思い出した方が有益な事がたくさんある気がする。

嘘とまではいわなくとも、自分がほんとに何気なく言ったことで、誰かが傷ついていた事も過去にはあっただろう。

とはいえ、そんな事を意識しすぎると躊躇してしまい、何も話せなくなったり、いわゆるおもしろくない奴となってしまう。

言葉というものは難しい。そんな事を4月1日のツイッターのタイムラインを見ながら思ったのだ。

主にツイッターにいます→@kenihare 無言フォロー嬉しいです。