あの頃バカじゃけど多分輝いていた その1

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最初に断っておくがこの話は著名なアーティストが書いている訳でもないし、何かを成し遂げた特別な人間が書いている訳でもない。

だからインパクトのある話ではないし、読んだところで得るものも多分ない。

あなたの周りにも一人や二人は必ずいるであろう「昔、バンドやっててさ・・・」なんていう過去の栄光を語りたがる人。僕もそうだ。うっとうしくてごめん。

そして、あなたはそれを大して興味も無くふ〜ん、と聞いてるフリをしながら流すだろう。

でも、その話はきっと本人にとっては、人生において大事な思い出だ。

自分のブログでそれを語っていても何も迷惑な事はないだろう。

だから誰も読んでいなくてもここに書き記すくらいは許されるはず。

昔、中学2年生から18歳までの4年間、ドラムをやっていた。バンドをやっていた。

元々テレビから流れる流行の歌をカセットデッキで録音して繰り返し聴いてしまうくらい音楽が好きだった。録音していると母親がご飯よ〜って台無しにしてくれるあれだ。初めて買っってもらったCDは踊るポンポコリン。

デパートに入っていたCD屋さんで買ってもらった。小学校の時はだいたいそんな感じ。

まずは中学から話さないといけない。

岡山県と香川県を結ぶ瀬戸大橋。その端っこの町で育った。

崖の上を自走する自転車の乗り物が有名な遊園地。競艇。穏やかな瀬戸内海。ジーンズと学生服。

ぱっと思いつくのはそれくらい。退屈な町かもしれないが、それなりに住みやすい地域だったのではないだろうか。

僕の通っていた中学校はいわゆるヤンキーが異常に多かった。特に僕の一つ二つ上の世代は特にひどかったらしく、授業中にバイクで校庭を走り回るわ、体育会系の先生と喧嘩をしてるわでマンガのような日常だった。リアルに氣志團の髪型をした人たちがいた。

僕はというと、部活でバスケットボールに打ち込み、成績も上の下あたり。一応真面目でいたって普通の生徒だった。

きっかけは中学二年生の文化祭の日だった。

友達となんとなく様々なクラスの出し物を回っていたとき、中庭でなにやら準備がはじまった。

芝生の上にドラムセットが組まれ、アンプが置かれ、楽器が置かれる。

校舎にぐるりと囲まれた中庭はそれぞれの教室の窓、渡り廊下からすっかりと見渡せる。なんだなんだと皆、足と手を止めて中庭に注視していた。文化祭が止まった。

中庭に現れたのはヤンキーの先輩達。

ヤンキー連中と少しだけ仲の良い友達がいたから噂は聞いていた。

「◯◯さんらあ、文化祭でライブするらしいで」

どうやらそれは敢行されるらしい。

何の挨拶もなく演奏は始まった。

BOOWYのカバー。当時を思うと王道であろう。真面目に楽器を練習している姿が想像できないヤンキー達は校舎にロックをwowwowと響かせた。

普段カツアゲ以外で交わる事のないヤンキー達を僕達は正面の渡り廊下から眺めていた。女子達は目を輝かせ黄色い声を送っている。

ライブが盛り上がる中、思ったのだ。俺もバンドをやろうと。

はっきり言って、その演奏にしびれたとか、かっこいいと思った記憶は全くない。

多分想像してしまったのだ。多くの人の前で演奏している自分の姿を。モブがモブでなくなる姿を。何よりモテそう。ちやほやされたい。馬鹿らしい動機かもしれないが思春期なんてそんなもんだ。

なぜかヤンキーの事情通ってポジションの奴はいる。そいつから後日、そのライブは学校の許可なくゲリラ的に行われたらしいと聞いた。

しかし、それがまさか一年後の僕たちに多いに影響してくるとは思いもしなかった。

バンドをやる。

動機がふわふわしていたので、おそらくここで何の楽器をしようか?となるはずだが、僕に迷いはなかった。

ドラム。

なぜか幼い頃から主役ではなく、脇役的な位置のキャラに惹かれる傾向がある。

ルパンで言うと次元や五右衛門。ウルトラマンで言うとセブン。仮面ライダーだとアマゾン。

だからドラムしか頭になかった。一番家で練習しづらい楽器かもしれないのに。

今だとドラムは決して脇役なんかではないと言い切れるが、当時、バンドというものはボーカルやギターがメインだと思い込んでいたのだ。

さて、当たり前だが、バンドを始めようにも肝心のドラムがない。

当時「バンドやろうぜ!」という雑誌に書いていた自宅でも出来るドラムの練習法。それを読み漫画雑誌を膝にのせバシバシと叩く練習法をやったりしたが欲望が収まる訳がない。

そこでもちろんドラムセットを買うお金なんかないからダメもとで親に頼むことになる。

まあ、当たり前に無理だと思っていた。

しかし、親心的に楽器に夢中になるのは教育的に有りと判断したのか、まさかの条件付きで買ってもらえる事になった。

その条件はテストの総合点が学年で10番以内に入る事。

たしか学年の人数は230人くらいだったかな。その当時、僕の順位は30位から50位の間くらい。狙えない位置ではない。

人間目の前に餌をぶら下げられると意外な力を発揮するもの。

自分でも驚くくらい頑張って次のテストでなんと6位を獲得したのだ。人間やりゃできるなと思った。さすがに親もこれは認めざるを得なかったようだ。

かくして、ドラムセットは僕の狭い部屋に置かれる事になった。安物だけど宝物。

中ニの冬の事だ。

主にツイッターにいます→@kenihare 無言フォロー嬉しいです。


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