思い出の焼きみかんの味

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どこか低い山をゆっくり歩きたいと思っていた。散歩がてらの感覚で歩きたいのが今の気分。

東京から気軽に行ける、かつ、適度な距離を歩けるところ。

いくつか候補を調べたところ、秩父の長瀞アルプスがいいかな、とぼんやり思っていた。

秩父は大好きだし、何度か行っているが久しく足をはこんでいない。ついでに何か名物でも食べようと調べているとちょっと気になるものが目に入った。

長瀞アルプスのゴール地点とも言える宝登山(ほとさん)頂上の売店に「焼きみかん」があるらしい。

「焼きみかん」

一応「焼きみかん」というものがあることは知っている。しかし、僕は食べたことがない。

よし、長瀞アルプスに決まりだ。

 

秩父のノスタルジーに惹かれる

久しぶりに秩父に来たらびっくりするくらい様変わりしていた。

西武秩父駅に来たのはほんとに久しぶりで。以前帰れなくなってヒッチハイクをした時以来だ。

駅の外観はもちろん、駅の中に温泉ができていたり、お土産屋さんが並んでいたところがフードコートになっていたりと随分変わっていたので驚いた。

駅に温泉とは高尾山に似ていると思った。駅は生き物だ。

駅前という名前のお店と秩父ガネーシャ。

前に来た時、駅前というお店には入ったことがある。インドカレーの秩父ガネーシャは初めて見たので最近できたと思われる。

この西武秩父駅から秩父鉄道「御花畑駅」へ乗り換える。歩いて3分くらいだ。

途中にあった秩スポ。仕事でたまに看板も作るので、この手があったかと思った。

和洋折衷なタイ料理の居酒屋。くさり樋がカラフルに塗られていた。

この近辺は多国籍だな。西武秩父駅から細い道を少し歩く。

この乗り換え、ちょっと道がわかりにくいので初めての人は迷うかもしれない。

芝桜駅なのか御花畑駅なのか。僕の中では決着がついていない。

風情という意味で、駅の立ち食いそばにかなうものはあるのだろうか。いや、あるか。

名物のみそポテトを食べたくなったが、帰りの楽しみにしておくのでここは我慢の子。

新聞の自販機なんて久しぶりに見た気がする。

東京からおよそ1時間半で味わえるノスタルジー。この秩父のローカルな雰囲気にやられる人は多いはず。

電車がやってきた。なぜか切ない感じ。もし僕が学生の頃にこの駅を使っていたら淡い恋の思い出ができそうな気がする。

野上駅に到着。僕の他にも長瀞アルプスを歩くのであろうファミリーや団体さんがいた。

 

長瀞アルプスを歩く

この長瀞アルプス、ルートは二つある。

どちらもハイキングと言った方がしっくりくるやさしい道で、小さいお子さんも楽しめるはずだ。

ゴールの宝登山からはロープウェイで長瀞に下りる予定。

一つは万福寺からスタートするコース。

もう一つは神社や社などを巡りながら登る神周りコース。

今回は神周りコースを選んだ。

長瀞アルプスはいわゆるご当地アルプスだ。

アルプスという言葉はもともとフランス、イタリア国境からスイス、オーストリアを走る大山系の総称だそうだ。

日本にも主たるところで北、中央、南アルプスという山脈がある。「南アルプスの天然水」という商品名は誰しも聞いたことがあるだろう。

その主要アルプス以外にも、実はご当地アルプスと呼ばれるものが日本各地にある。これは言ったもの勝ちな感じもあるが、何かしら名前がついている方が歩くのも楽しいもだ。

スタートからゴールまではおよそ4・5km。二時間と少しくらいの時間を見ておけば十分だろう。ゆっくり楽しんで歩くのにぴったりだ。

それではスタート地点へ向かおう。

野上駅を出て住宅街を抜けていく。あまり騒いだりしないように。

この鳥居が神周りコースの入り口。鳥居がスタートなんていかにも。


入り口すぐのところに杖が貸し出されていた。

ちょっと借りようかなと思ったけど、諦めた。下山は違う場所に下りるので返せない。腰痛持ちなので本当は使う方がいいのだけど……。

寒くもなく、秋は山歩きにいい。傾斜もきつくないのでゆったりした気持ちだ。

鳥の鳴き声がいいいやね。

久しぶりの山はやはり気持ちがいいもんだ。

 

〜閑話休題〜

ここで、僕が「焼きみかん」に惹かれた理由を説明しておきたい。

我が家では、毎年大晦日の夜、紅白を見終わったら家族全員で初詣に行く習慣があった。

子供の頃は夜中に大っぴらに出歩けることが嬉しかった。これは共感を得れると思う。

僕ら兄弟が思春期になって、「面倒くせ〜」とふてくされながらもそれは毎年決行された。兄弟みんな大人になってそれぞれが実家を出ても年末には実家に集まる。家族での初詣は、何年も続く行事に変わりはなかった。

初詣に行くのは近所の八幡宮。

そこではおみくじやお焚き上げ?の焚き火のようなものが行われ、その煙を浴びると一年健康に過ごせると言われていた。

旧正月に行われる「どんと焼き」を正月にやっていたのかもしれない。母なんかはくるくる回ってきちんと体の後ろまで煙を浴びていたのを覚えている。なにゆえ尻を健康にするのだ、といつも思っていた。

その時の焚き火で、みかんを焼いている人を見た記憶がぼんやりある。

僕はそれを見て「ミカンを焼くなんてありなの!?」と衝撃を受けた。それと同時に「いや、みかんは普通に食べた方が美味しいだろ」なんて冷めた目でも見ていた。

やがて父が亡くなり、母は家を手放した。

僕ら兄弟は実家がなくなるという事が寂しくて、最初は少し反対した。

しかし、母一人だと一軒家なんて持て余すし、掃除も大変、何より父が亡くなって、その土地に住み続ける必要性もないという事で僕らも納得した。母の立場になれば確かにそうだろう。寂しさは僕ら兄弟のエゴでしかない。

そして、家族揃って近所の神社へ初詣に行く習慣も終わった。

「焼きみかん」というキーワードがトリガーとなって、それらの記憶を思い出したのだ。別に何も悲しい思い出ではないのに何かが胸にじんわりきた。

僕は焼きみかんを食べたことがない。

あの時、冷めた目で見た焼きみかんはどんな味がするのだろう。

そんな思いもあって長瀞アルプスを歩いて宝登山を目指したのだ。

 

ポンポンと現れる神様

散歩とさほど変わらないくらい気楽に歩く。たまにはこういうのが必要なんだと思う。

ひっそりとあった社。夜に見ると多分怖い。

紙垂(しで:白い紙のやつ)が全部きれいなので毎日変えられていると思われる。

ふと見晴らしのいい場所に出た。

そんなに登ってきた感覚もないのだけれど、こうして上から見渡すといいため息がでる。

さっきは摩利支天様があったけど、今度は不動明王。

まっすぐ行くのがショートカットだけど、もちろん白峰神社にも寄ります。

おっ、こんなところにも神様が。八百万。


白峯神社。ここは立派な祭壇があった。

僕は神社が好きでよく行くのだけれど、お願い事はしないようにしている。

仏教も含めて特段信仰心もなく、その神様のために日頃何かしているわけでもない。それなのに願い事をするのはなんだか虫のいい話だと思っているからだ。

それでも、きちんと二礼、二拍手、一礼を行ったり、手を合わせるのは、お邪魔しましたという挨拶みたいなもんだと思っている。


紅葉はまだまだこれから。

ちょっと期待してたんだけどな。紅葉。でもちょっと始まりかけている気配はあった。

リアルな写真が入っているのが恐怖心を掻き立てる。

過去に一回、山でスズメバチが僕の近くに迫ってきたことがある。あれは本当に怖い。

羽音がすごく大きくて、本能がやばさをビンビン感じるのだ。その時は幸い何も起きなかったが、ゾンビから隠れて息を止めるような恐怖があった。

イリュージョン。

時折、こういった手品のように葉っぱが空中に浮いている時があるが、これはクモの糸の仕業である。

来月はトレイルランニングの大会があるみたい。知っていたらエントリーしてたかも。

この日も何人ものランナーに出会った。確かにこのルートは走るのにちょうどいい。


早くも終盤。道はアスファルトの車道に変わる。

残すはゴールである宝登山だけだ。

ただし、ゴールの前にはこの急な階段が待ち構える。


階段の段差が高いので、下りる人の方が慎重にならざるを得ない。

このルートで、ここが唯一きつい箇所。

階段を登り終えるとやっとこさゴール。宝登山の山頂だ。

一応パシャリ。

宝登山の標高は497.1m。(クル)シクナイと覚えよう。いや、それじゃ964971になってしまうか。

みんなまったりお昼ご飯をとっている。景色は立派なおかずだ。

咲いているのは寒桜。一年に二回咲くんだっけか。

やっぱ気持ちいいね。来てよかった。

ここ、宝登山は蝋梅という黄色い梅の花が綺麗な事で有名だ。

ただ、蝋梅が咲くのは冬の1月や2月なので今はこんな感じである。

この芽がもっと寒くなれば黄色い花を咲かせるのだ。

もし、ここにハイキングに来るのなら1月や2月がオススメだ。

さて、そろそろ本命の焼きみかんを食べに行こう。

お目当ての焼きみかんはすぐそこだ。

即興で焼きみかんの歌

頂上からすぐのところにある「宝登山神社 奥の院」

ここは奥の院だが、宝登山神社自体はロープウェイで降りた地点にある。

秩父の狛犬は狼。

別の山にある三峰神社という大きな神社もそうなのだが、ここ秩父は狼信仰がある地域なので狛狼となる。

奥の院の前の広場に二軒の売店がある。

あった!みかんだ!

あれ?でも焼いてない普通のみかんしかない。

もしかして、まだそんなに寒くないからやってないのかな?

これは…、お決まりのトホホパターンなのか……。

ダメ元で売店の女将さんに聞いてみる。

「すいません、あの、焼きみかんってやってないんですか?」

「焼きみかん?食べたいの?う〜ん。ちょっと待っててくれたらできるよ〜」

そういって女将さんは奥から七輪を取り出してきた。やった。言ってみるもんだ。

「ちょっと待っててねえ〜」

そう言いながら焚き火の炭を七輪へポイっと入れる。手慣れたものだ。

「こうしてね、乗っけといたら焼けるからね。美味しいんだから〜」

焚き火の前に座りながら焼けるのを待つ。

寒くはないのだが、火を囲むっていうのはいいものだ。昨今キャンプが流行るのもよくわかる。

おっ、いい焦げ目ができてるぞ。

「女将さん、これ、そろそろ食べ頃ですかね〜?」

「もう大丈夫よ〜。熱くなってるから気をつけてね〜」

どれどれ……

おお、確かに熱い。そりゃ、そうか。

焦げ目がいい感じ。

では!初めての焼きみかん、いただきます!

皮ごと勢いよくがぶりっ!

熱っつ!!!

でも、あまい!!

なるほど。これが焼きみかんか。焼く事でみかんの甘みが倍増されてる。

焦げた皮を口に入れた時に、

「あれ?この味なにかで味わったことある。なんだっけ?」

と思いながらハフハフとかじっていた。

思い出した!焼き芋だ。

口に入れた瞬間だけ焼き芋をかじった時の味がするのだ。焦げのせいかもしれない。でもそれは一瞬で消え、口の中に暖かい柑橘の果汁がじわっと広がる。

そうか、これが初詣の思い出にあった焼きミカンの味か。

しみじみ味わい深い。

美味しい、美味しいと言いながら食べていると急に歌声がしてきた。

♪はあ〜、みかん、た〜べ〜るな〜ら〜

焼いてたべやんせ〜。さのよいよい♫

♪みかんを〜、焼いて食べるとお〜

健康にい〜、いいよ〜♫

なんと売店のおかみさんが急に歌いだしたのだ。

手拍子をしながら歌ってくれた。※ブログに載せてもいいと許可を得ました。

急だったから、録音なんてする余裕はなかった。なので、歌ってくれた歌詞はうる覚えだ。どうやら東京音頭の替え歌だったらしい。

「えええ!?その歌、今作ったんですか?」

「ふふふ、そうよ〜❤︎」

なんと即興である。ジャズかよ。

美味しいと美味しいと言っていたのが気に入ってくれたのかもしれない。

なんにせよ、何かしらのインスピレーションを感じてくれたのはとても嬉しい。僕はみかん食べてただけだけど。

話を聞くと、どうやらこの女将さん、TVにもたくさん出ている名物女将らしい。

あっ、歌ってる。

お店には女将さんが出たTVのシーンが貼られている。

お店で飼っている犬を撫でながら焚き火の周りで話をする。

「僕、この焼きみかんを食べるために今日来たんですよ〜」

「あら〜、それはそれは。焼きみかん、おいしいでしょう〜」

もうね、女将さんがいい人すぎて。

なんとなくもう少しここにいたくて、くるみ味噌のこんにゃくも追加で買ってしまった。これも甘辛くて美味しい。

そうして僕は想定外にほっこりしてロープウェーで山を下りたのだ。

ロープウェーに乗ると5分くらいで下に着く。

 

最後に

最近仕事でちょっとイライラもたまっていたが、ゆったりと山を歩くことでそれも薄まった気がする。自然の力は偉大だ。

初めての焼きみかん。想像してたよりずいぶん美味しかった。

あの女将さんのおかげもあると思う。きっとこの冬、僕は家でもガスコンロでみかんを炙るだろう。

過去に神社で見たあの焼きみかんもこんなに甘かったのだろうか。

斜に構えて当時焼きみかんに挑戦しなかった自分に後悔した。しかし当時の自分は世の中の全てを斜に見ていたので仕方ないかな、とも思う。

みかんだけにちょっと甘酸っぱい記憶である。



はあ〜、秩父良いとこ〜、一度は〜おいで〜♪

 

〜後日談〜

僕の記憶は合っているのか気になって、焼きみかんのことを母親に電話で聞いてみた。

みのる「昔さあ、初詣の時、神社の焚き火で焼きみかんしてた人おったよな?」

母「いや〜?そんな人おらんかったけどな〜」

みのる「え?嘘?」

母「いや、見た事ないで」

みのる「ええ〜、焼きみかんの記憶があるんだけどな〜。おかん、もしかして作ってくれたことある?」

母「いや、ない。っていうかあたしも食べたことない」

どうやら僕の記憶違いだったようだ。

では僕の焼きみかんの記憶は何なのだろうか?

どこかで見たものだったのだろうか。テレビ?本やネットなのか?

今でも全く思い出せずにいる。

しかし、記憶のどこかに確かにあるのだ。

焼きみかんなんて…と斜めな目でみつつも、どこか羨ましがっていた自分の姿が。

 

 

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