昔、マプロンという飲み物があった。パックの豆乳飲料だ。しかし、とっくに製造を中止している。
うちの母親は、ヤクルトやこういう子供の健康と成長に良さそうなものはやたら与えてくれた。おかげでこうしてまあ、すくすくと育ってしまった。
ブログのネタとして「懐かしのマプロンを再現する」ということを考えていたのだが、いかんせん調べてもレシピがわからず頓挫してしまった。
しかし、マプロンにまつわる思い出があるのでちょっと書いてみる。
子供の頃、街にどっきり迷路がやってきた。
昔すぎて正確な名前を「どっきり迷路」なのか「びっくり迷路」なのか「大迷路」なのかちゃんと覚えていない。調べてもはっきりしなかったので「どっきり迷路」としておく。
やってきた、とはどういうことか?と思うかもしれないが、どっきり迷路は本当にやってくるのだ。
どっきり迷路はサーカスと同じで興行なのだ。おそらく全国各地を回っていたのだと思う。
僕が育った街は岡山の田舎なので、ぽっかりあいてる土地なんていっぱいある。そんな空き地に一定の期間、どっきり迷路が設置される。
本当に巨大な迷路が作られるのだ。その迷路を人々は実際に歩き、さまよい、ゴールをめざす。そんなアトラクションが街にやってきた。
迷路は簡易な板をつなぎ合わせて作られていたと記憶している。子供達にとっては超がつくほど魅力的な遊び場だ。
大人になった今では、ああ、なるほどな、と効率の良い迷路の作り方や、1日の売り上げがだいたいこれくらいで、市などに許可をとったり運営するのも大変だろうなあ、とつまらないことを考えてしまう。
田舎なので、娯楽が少ない。当時はファミコンも出はじめたばかりだ。僕たち子供はすぐにどっきり迷路に夢中になっていた。
「どっきり迷路もう行った?」「俺、すぐゴールした」などと学校での話題は持ちきりだった。
僕も行きたくて行きたくて仕方なかった。親にねだってやっとの事で二人の兄と、さらに近所の友達家族と一緒に連れていってもらった。
迷路は入り口で入場料を払い、ゴールするだけ。今でも遊園地などに似たようなものがあると思う。あれの大きいバージョンだと思ってもらえればよい。
スタートは全員で入ったはずだ。しかしどういうわけか僕はお兄ちゃんたちとはぐれてしまったのだ。この迷路だけでなく子供の頃の僕はやたらとどこでも迷子になった記憶がある。
小学校低学年の子供が迷路で一人。泣きながらひたすら迷路をさまよっている。
想像しただけでもう切なくなるでしょ?実際、書いている僕が今、めちゃめちゃ切なくなった。
また、迷路には所々に鏡だとか、しょぼいお化け屋敷のようなちょっとびっくりする仕掛けもあった。
それらが余計に不安をあおってくる。子供の僕はもう二度と家族に会えないのではないか、この迷路を永遠にさまようのではないかと絶望的な気持ちになっていた。子供の頃というのはすぐにこんな思考になりがちだ。
さんざん泣き喚きながらとぼとぼと歩いていると、急に目の前に兄が現れた。
兄達はとっくにゴール間近まで行っていたが、僕がいないことに気づき戻ってきてくれたのだ。
泣き喚く僕の手を引いて兄は最短でゴールへたどり着いた。
ゴールをでたらそこにはみんながいた。
安堵しても泣き止まない僕に父はマプロンを買ってくれた。
当時コーヒー味をよく飲んでいたがこの時に飲んだのは何味か覚えていない。美味しかったかどうかも覚えていない。
迷路で迷子になる、という当たり前の話なのだが、僕はこの記憶をマプロンとセットで覚えているのだ。
レシピがなくても試行錯誤すればマプロンを作れるかもしれない。再現できたかの判定は僕の記憶だ。ネタの一つとしてストックしておこう。
そして今これを書いていて思った。
当時はものすごく巨大だと思っていたこの迷路。しかし子供だったからそう感じただけで実際はそんなに大きくなかったかもな、と思った。
ずいぶんつまらない大人になったものだ。
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